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山口地方裁判所岩国支部 昭和63年(ワ)18号 判決 1993年5月27日

原告

村佐登

村佐初喜

村佐富貴

右原告三名訴訟代理人弁護士

小笠豊

森重知之

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

稲葉一人

外九名

主文

一  被告は、原告村佐登に対し、金一二七〇万三一〇五円及びこれに対する昭和六三年三月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告村佐初喜及び同村佐富貴に対し、各金五八五万一五五二円及びこれに対する昭和六三年三月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を原告らの、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一、第二項に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告が、原告村佐登に対し金六五〇万円、原告村佐初喜及び同村佐富貴に対し、各金三〇〇万円の各担保を供するときは、右仮執行をそれぞれ免れることができる。

事実及び理由

第一請求及び答弁

一請求

1  被告は、原告村佐登に対し、金一六五一万九一二八円及びこれに対する昭和六三年三月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告村佐初喜及び同村佐富貴に対し、各金七八五万九五六四円及びこれに対する昭和六三年三月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言。

二答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱の宣言。

第二事案の概要

一概要

本件は、亡村佐達子(以下「達子」という。)が、右頸部にできた腫瘤のために被告の開設する国立岩国病院(以下「岩国病院」という。)に通院中に、同腫瘤の生検(試験切除)を受けた際、頸動脈破綻性の大量出血が生じ、その直後脳梗塞を発症し、意識を回復しないまま死亡したこと(以下「本件事故」という。)について、達子の遺族である原告らが被告に診療契約上の債務不履行に基づく責任があるとして、損害賠償を請求した事案である。

二争いのない事実等

次の事実について、証拠を挙示しない項目については当事者間に争いがない。

1  達子は、昭和三年二月二〇日生れで、死亡当時五九歳の女性である。達子の相続人は、夫である原告村佐登(以下「原告登」という。)、原告登と達子との間の子である原告村佐初喜(以下「原告初喜」という。)及び同村佐富貴(以下「原告富貴」という。)である。

2  経緯

(一) 初診から手術に至るまで

(1) 達子は、二宮神経内科医院に通院していたが、昭和六二年二月二七日、同院の二宮淳明医師の紹介状を携えて、岩国病院の外科外来を受診し、被告との間で診療契約を締結した。達子は、診察を担当した種本和雄外科医師(以下「種本医師」という。)に対し、一か月くらい前から右頸部に拇指頭大の腫瘤があることに気付き、当初、疼痛はなかったものの最近少し痛みを感じるとともに、大きくなる傾向があると訴えた。当日の種本医師の局所所見は、達子の右頸部の胸鎖乳突筋内方で、頸動脈の前方に二〇×二五ミリメートルの腫瘤を触知し、弾性で、軽度の硬さを持ち、皮膚との癒着及び皮膚の発赤はなく、嚥下の際わずかに動く程度で、圧痛は認めないというものであったが、同医師は腋窩、鎖骨上窩、鼠蹊部のリンパ節は触知しなかった。

(2) 同日、佐々木明外科医師(以下「佐々木医師」という。)が、達子に対し、頸部レントゲン撮影及び超音波検査を行ったところ、内頸動脈のすぐ内側に二六×二三×一八ミリメートル(超音波画像上の測定結果)の「Solid」(ただし、この意味が、「孤立性」か、「固形の」あるいは「堅い」かは争いがある。)腫瘤を認め、同医師は、上深内頸リンパ節の腫大が疑われると診断した。同日、その他の尿検査、血液一般検査等の諸検査も行われたが、特記すべき異常所見は認められなかった。

(3) 達子は、その後、同年三月六日、同月一三日、同月二〇日と外来で受診したが、腫瘤の状態に特に変化はなく、種本医師は、更に一か月間の経過観察をすることとした。なお、種本医師は、同月六日の診察で、腫瘤が、炎症によるものか腫瘍によるものか断定し難く、悪性リンパ腫の疑いもあるため、一週間分の抗生物質及び抗炎症剤を投与してみて(仮に、腫瘤が炎症によるものであれば抗生物質等の投与により退縮する可能性があるため。)生検の適応を考えることとし、同月一三日の診察で悪性かどうかを判断するために腫瘤の針穿刺吸引細胞診を行ったが、その結果は陰性であった。また、同月二〇日の診断では圧痛が認められた。

(4) 達子は、約一か月経過した同年四月一七日に外来受診したが、圧痛がなかったことから、種本医師は更に一か月の経過観察をすることとした。

(5) 達子は、同年五月一五日外来受診して中村純外科医師(以下「中村医師」という。なお、同月から外来担当が種本医師から中村医師に代わった。)の診察を受けたところ、腫瘤の大きさに変化はなかったが、圧痛を伴っていた。同医師は、約三か月半の経過観察によっても腫瘤が縮小しないため、悪性腫瘍の可能性があることを考慮して、生検(<書証番号略>、ただし、被告は「試験切除」という語を用いる。)が必要であると判断し、達子にその旨勧めた(原告登も同席していた。)が、達子が家人と相談してから決めたいとの意向を示したため、更に一か月の経過観察をすることとした。なお、その際、中村医師は、通院のままでできる手術であると説明した。

(6) その後、達子は、同年六月一二日原告登とともに外来受診をし、その際、前記生検について承諾をしたので、中村医師は同月一八日、手術することと決定した。

(二) 手術の経過について

(1) 達子に対し、同年六月一八日午後一時四五分ころ、一パーセントキシロカイン一〇ミリリットルを用いて局所麻酔が開始され、小林元壯医師(以下「小林医師」という。)及び村山正毅医師(以下「村山医師」という。)の下で手術が行われて、先ず、執刀医となった小林医師は、右胸鎖乳突筋内側、顎下腺から約二センチメートル下の部位に約3.5センチメートルの皮膚切開を行い、広頸筋を切開し、胸鎖乳突筋を外側(身体の中心から両脇に向かう方向を「外側」、その逆を「内側」という。)に圧排しつつ、腫瘤表面の一部に達した。

(2) このとき、触診上、腫瘤表面は球楕円形で硬く、約二五×二〇ミリメートルの大きさであった(この大きさについては、<書証番号略>により認められる。)。腫瘤は、上深頸部に位置しており、周囲組織と著しく癒着しているものと判断され、また腫瘤表面からは易出血性であった。腫瘤が易出血性であったこと及びその位置の深さ並びに周囲組織との癒着の程度の著しさから、腫瘤の剥離操作が困難を極め、手術が予定時間(約二〇分間)より遅延しつつあったため、同日午後二時一〇分ころ、術者(執刀医)が小林医師から上席医師の村山医師に交替した。

(3) 村山医師は、腫瘤が約四分の一剥離された状態(この状態のとき、大きさが少なくとも約三〇×二五ミリメートルはあると分った。<書証番号略>。)から、腫瘤の表面に癒着している外頸動脈の分岐と思われる静脈を外側に圧排して、腫瘤表面尾側(身体の頭部に向かう方向を「頭側」、その逆を「尾側」という。)二分の一内外側を剥離したが、深頸部に位置していて、下部及び深部組織と強く癒着しているものと判断したので、皮膚切開を更に二センチメートル追加し、創部を拡大した。

(4) 村山医師が、縫合糸を二針懸けて支持糸として、腫瘤を浅・上部に持ち上げつつ、深部及び下部組織から剥離しつつあった同日午後二時四六分ころ、頸動脈性の出血を認めたため、直ちに手指及びガーゼによる圧迫止血が試みられた。このときの推定出血量は一六〇ないし二〇〇ミリリットルで、血圧一五九―一一一、脈拍一二五であった。

(5) 村山医師は、動脈性出血のため、局所麻酔による手術の継続は困難であると判断して、全身麻酔のための緊急招集をし、医師四名及び看護婦四名がかけつけ、右大腿静脈からのカテーテルによる血管確保、左下肢からの血管確保を行い、点滴注射を開始するとともに、酸素吸入を開始し、ハートモニター装置、自動連続血圧測定装置の取り付けを行った後、同日午後二時五三分ころ、気管内挿管をして全身麻酔を開始し、動脈性の出血に対しては引続き手指及びガーゼによる圧迫止血を行った。

(6) しかし、同日午後二時五五分ころ、心拍数及び血圧がいずれも低下する一方で、最終的には、脈拍二〇、血圧測定不能になって、短い時間心停止(ないし徐脈)に至った(<書証番号略>四六頁、小林証言、村山証言)ため、津島心臓血管外科医長を緊急に呼出すとともに、止血のための頸動脈圧迫による迷走神経反射を疑って、副交感神経遮断剤(硫酸アトロピン)及び血管収縮剤(プロタノール)を投与したが、改善が見られず、心マッサージを開始した。この状態は、約一五分間継続した。

(7) 同日午後三時〇五分ころ、津島心臓血管外科医長が手術室に入り、急性循環不全用剤(イノバン)及びアシドーシス改善剤(メイロン)等の心蘇生措置を実施したところ、状態の改善が認められ、呼吸音を確認でき、同日午後三時一五分ころ、血圧は一〇〇―四〇、脈拍一四〇で、洞調律が認められた。同日午後三時二五分ころ、全身状態が改善したと判断して、全身麻酔下で、村山、小長、津島、榎本の各医師を執刀医として手術が開始(再開・続行)された。そして、右頸部の手術創を拡大するため、皮膚切開を約五センチメートル延長し、出血部位を確認したところ、腫瘤は右内頸動脈と右外頸動脈との分岐部に位置しており、分岐部血管の裂創が確認され、頸動脈腫瘤が推測された。

(8) そこで、血管縫合が必要であるため、初回創部から四ないし五センチメートル下の右鎖骨上部に新たな切開を加え、総頸動脈を露出してクランプ(一時阻血)したうえ、分岐部の血管縫合を行った。クランプ時間は五分三〇秒間であった。しかし、縫合による止血が不十分であったため、再び総頸動脈をクランプし、縫合を加えて血管縫合部に局所止血剤(スポンゼル)、フィブリン膜製剤を塗布したうえ止血し、内外頸動脈の拍動を確認して両創部を閉じた。第二回目のクランプ時間は約一分間であった。手術終了は、同日午後四時三〇分であった。ところで、総出血量は約九〇〇ミリリットル、輸血は四〇〇ミリリットルであった。

(三) 手術後死亡に至るまで

(1) 達子は、同日午後五時〇五分ころ、手術室から集中治療室(ICU)に収容されたが、意識はなく、一〇分間に一回の割合で強直性痙攣を起こしていた。自発呼吸はあり、気管内挿管のまま酸素(濃度五〇パーセント、毎分六リットル)が投与され、右浅側頭動脈及び右下顎動脈の拍動が触知された。さらに、血糖値は高くインシュリンが投与された。そして、同日午後一〇時二〇分ころ、血液ガス分析の結果、酸塩基平衡の一部異常が認められたため、メイロンを投与し、低カリウム血症に対しカリウム製剤を点滴し、感染防止のため抗生剤を投与した。

(2) 同月一九日には、血液ガス分析の結果、酸素分圧値が低く、心肺うっ血が推測され、脳波検査・脳CTスキャンの結果、脳神経外科医宮田伊知郎の診察によると、脳幹部機能は問題ないが、右大脳半球に多発性脳梗塞巣が認められ、浮腫を伴うことが判明したので、浮腫の進行を防止するためデカドロンを投与した。午後になって原因不明の奇異呼吸(吸気時腹壁が陥没し、呼気時に腹壁が隆起するという状態)が見られた。血液ガス分析では酸素分圧値が低かった(58.2mmHg)ため、低酸素状態に置くことは脳浮腫をさらに増強させる可能性があると判断して、人工呼吸器を装着した。この後、脳浮腫がさらに進行していったが、同月二三日ころから全身状態が落ち着き、同年七月一日のCTスキャンの結果、脳浮腫の著明な改善が見られ、同月三日人工呼吸器が外された。その後、全身状態及び神経学的所見は一定となった。

(3) 同年九月二九日、喀痰量が増加し、摂氏38.4度の発熱が見られ、喀痰培養検査の結果、薬剤耐性の強い難治性の菌(黄色ブドウ球菌)であった。同年一〇月九日には肉眼的にも明らかな血尿が認められ、喀痰は血性であった。同月二一日午前三時五〇分、痰による気道閉塞によって呼吸困難となり、血圧低下・呼吸停止の状態となったため、閉塞を解消して人工呼吸器を装着した。喀痰培養の結果、耐性ブドウ球菌であることが分かった。同月二六日、低蛋白血症で全身浮腫が著明となり、播種性血管内凝固症と診断され、その後、前胸部に点状出血が出現し、血圧が低下し、同年一一月三日午前三時二七分、達子は、手術後意識を回復することなく、死亡した。

3  達子の疾患

達子の頸部腫瘤(以下、「本件腫瘤」という。)は、頸動脈小体腫瘤あるいは頸動脈体腫瘤とも称される。)であった。

三争点

1  過失の有無及びその内容について

(一) 生検決定前の段階において

(原告らの主張)

(1) 本件腫瘤について生検(試験切除)が決定される前には、①腫瘍の局在はむしろ典型的であって、②発見時の大きさ(長径二ないし三センチメートル)が少なくとも三か月間変化しておらず、悪性腫瘍とすれば、そのダブリングタイムのルールに従っていないし、③触診所見は、腫瘍が弾性硬で表面はでこぼこであり、④超音波法では、内部エコーが不均一であるが、頸動脈小体腫瘤を否定できないし、⑤超音波上の所見としては、腫瘍が内頸動脈に近い。以上の所見から頸動脈小体腫瘤を疑うことができたというべきである。

(2) そして、組織生検(病巣部試験切除)は、体表で一見アプローチが容易と思われる部位であっても、一度周囲の損傷を起こせばその収拾は困難を極めるような部位について行う場合、すなわち本件腫瘤のように上深頸部に位置する場合には、できるだけ多くの補助診断法を駆使して、概略診断の目安をつけ、それを生検にて証明するため、最終的段階で行わなければならない。

(3) したがって、本件においては、さらに頸動脈撮影(血管造影)や頸部CTスキャン(エンハンスCTを含む。)などの補助的診断法を実施することによって、本件腫瘤が頸動脈小体腫瘤であるとの確定診断をつけることができたというべきであるから、担当医師は、生検を決定する前に、これら他の補助診断を実施すべき義務があったというべきである。けだし、頸動脈小体腫瘤は、遭遇することが稀な疾患であるとはいえ、ほとんどの教科書に記載されている部類の腫瘍であるから、右の所見を注意深く観察し、補助診断を重ねることにより、当然、頸動脈小体腫瘤を疑い、さらに診断をつけることはできたというべきであるからである。

(4) ところが、担当医師は、右のように頸動脈小体腫瘤を肯定する複数の所見があったにもかかわらず、頸動脈小体腫瘤を疑うことすらせず、したがって頸動脈撮影や頸部CTスキャンなどの他の補助的診断法を重ねなかったことは重大な過失である。そして、右補助診断を重ねないまま本件生検(試験切除)を決定した過失がある。

(被告の主張)

(1) 原告らが主張する本件腫瘤についての右①ないし⑤の所見のうち、①の所見は、頸動脈小体腫瘤であることが分かっていれば、その場所は典型的であるというに過ぎず、頸部腫瘍は頸動脈小体腫瘤である可能性が高いという知見がなく、②の所見は、ダブリングタイムのルールが癌の時間学の分野でその有用性が述べられている(近時は、癌においてもその診断の有用性は限定されている。)が、このルールを悪性腫瘍一般について押し及ぼすことができるかどうかについて確定したものはなく、未だ研究途上の理論であり、③の所見は、頸動脈小体腫瘤が「通常、表面平滑で硬い」とされていることと相反するものであり、④の内部エコーが不均一であるという所見は、頸動脈小体腫瘤は内部エコーが均一であるとされることと矛盾するものであり、頸動脈小体腫瘤を否定する所見である。その他、頸動脈小体腫瘤の臨床的特徴とされる嚥下時に可動性がない、拍動性があるといったこととは矛盾する所見がある。そうすると、結局、右①ないし⑤の所見のうち、頸動脈小体腫瘤を疑わせるものは発生部位が頸動脈に近い(しかし、血管由来性のものでなく、孤立性のものである。)という程度に過ぎず、頸動脈小体腫瘤が極めて稀な疾患であり、鑑別診断も困難とされていることからして、これだけで頸動脈小体腫瘤を疑うことができるとするのは難きを強いるものである。

(2) そして、頸部腫瘍の診断においては、発生頻度の低い疾患に対する鑑別診断のための検査は一般的ではなく、発生頻度の高い疾患の鑑別、診断のための患者にとって苦痛、リスク、負担の少ないものから順に選択して、多角的な診断を下し、その後に、それ以上の検査(例えば画像診断)をするには、当該検査方法によらなければ判明しえない疾患の存在が疑われる所見が存在し、その診断方法の有用性が高く、患者に与える苦痛、リスク、負担が無視できる場合などに選択されるものであって、そこには自ずから医師の医療行為としての裁量が存在する。

(3) 本件においては、本件腫瘤を診断するために、多数回の視診、触診、血液検査、腫瘍マーカー、超音波検査、穿刺吸引細胞診、尿検査、生化学検査、胸部レントゲン検査、甲状腺機能検査などの十分な検査を行ったにもかかわらず、頸動脈小体腫瘤を疑う所見は十分でなく(現に、経験を積んだ複数の医師が、多角的診断結果を踏まえ、仮定的な診断ではあるが、リンパ節の腫大を疑っていた。)、極めて稀な頻度でしか生じない頸動脈小体腫瘤を考慮して、画像診断(CTスキャンや血管造影)を行ったとしても、必ずしも確定診断に至れるとは限らなかったうえ、エンハンスCTや血管造影検査は患者に対する相当な侵襲を伴うものであること、画像診断であるCTスキャンに先行して同じ画像診断である超音波診断を行っていることなどからすると、試験切除に先行して、血管造影やCTスキャンを実施すべき義務があったということはできない。

(二) 生検決定後、執刀開始前の段階において

(原告らの主張)

(1) 中村医師が昭和六二年五月一五日に決定して達子に説明し、同年六月一二日に達子が承諾した生検は、一部切除としての試験切除(組織生検、すなわち生体からの組織採取)であった。

したがって、右生検を担当した小林医師らには、中村医師の指示に従い、かつ達子の承諾が得られた範囲で生検を実施すべき義務があったというべきである。それにもかかわらず、小林医師らは、右義務に反し、中村医師の試験切除の指示を逸脱(ないし誤解)し、達子の承諾を得ていない(説明義務に違反する。)本件腫瘤の全部摘出術を実施した過失がある。

(2) また、頸動脈小体腫瘤の手術は、血管外科の準備をし、少なくとも一人の血管外科医を手術チームに加えることが必要であり、脳血管障害などの合併症の発症を防止するために万全を期したうえで行われるべきである。仮に、頸動脈小体腫瘤を疑っていない場合でも、本件腫瘤が頸部に位置し、その全部摘出を行うものである以上、その危険性や難易度に関し、慎重に検討して準備をしなければならない義務がある。

ところが、本件では、事前にその操作の難易等を十分に検討しなかったばかりか、執刀を担当した医師は手術前に達子を診察することすらせず、試験切除を決定した中村医師も手術に参加しないまま、安易に外来で全部摘出術を実施した過失がある。

(被告の主張)

(1) 生検には穿刺吸引細胞診と試験切除があり、試験切除には腫瘤の一部を切除する場合と腫瘤の全部を摘出する場合のいずれも含まれるのであるから、中村医師が達子に説明した試験切除には当然に全部摘出術も含まれ、達子は全部摘出術を含めて生検を承諾したものである。試験切除にあたった小林医師らも当初から本件腫瘤の全部摘出を目的としていたものであるから、中村医師の指示の範囲を逸脱した生検を行ったのでもなければ、達子の承諾を得ていない生検を行ったものでもない。

(2) また、本件では、試験切除に先立って頸動脈小体腫瘤を疑わせる典型的所見がなく、術中においても頸動脈小体腫瘤を疑わせる所見はく、村山医師が手術を続けるべきか否かという判断を見極める作業を続けている途中で、血管の破綻が起きたものであるから、血管外科的準備は不要であったというべきである。そのうえ、村山(経験二一年)及び小林(経験九年)両医師は、血管外科的な対応のできる能力を当然有しており、同時に岩国病院には、血管外科医が院内に常駐しており、本件当日も津島心臓血管外科医長が常駐していて、緊急事態に対しても迅速な対応をとったものであるから、血管外科医が手術に立会っていなかったとしても、血管外科的な準備が不足であったとはいえない。また、中村医師が手術に立会わなかったことは、同医師自身が主治医であった患者の手術があったためであって、やむを得ない事情であり、これを問題とすべきでない。

(三) 執刀開始後の段階において

(原告らの主張)

本件腫瘤は、頸動脈小体腫瘤としての色、形などを具備していたのであるから、頸部を切開して、腫瘤が露出した時点で、腫瘤の色、形などから、リンパ腫ではなく、頸動脈小体腫瘤の疑いを持ち、手術を中止すべきであったにもかかわらず、十分な準備もないまま、手術を続行したことは重大な過失である。

(被告の主張)

本件では、前記のとおり、術中においても頸動脈小体腫瘤を疑わせる所見はなく、村山医師が手術を続けるべきか否かという判断を見極める作業を続けている途中で、血管の破綻が起きたものであるから、手術を中止すべきであったとはいえない。なお、出血後の措置についても同医師らに落ち度はない。

2  達子の重度脳障害及び死亡原因について(因果関係等)

(原告らの主張)

達子が手術直後重度の脳障害に陥った原因は脳梗塞であるが、その原因は、①五〇分間にも及び圧迫による総頸動脈血流量の実質的な低下、②右総頸動脈のクランプによる一時的な血行停止、③右総頸動脈洞反射による血圧低下、④心停止の複合相乗の結果惹起したものであり、これらはいずれも総頸動脈分岐部壁の破綻によるもので、本件摘出術を実施したことから生じたものであり、ついに前記死亡させるに至らせた。

(被告の主張)

(一) 本件では解剖が行われていないため、脳梗塞の原因を確定することはできないが、通常本件のように脳に流入する左右二本の総頸動脈のうち右一本のみをクランプしただけでは、ウィリス動脈輪を通じて他側の脳に向かう動脈によって阻血された右総頸動脈域への血流補充が行われるために、広範な脳阻血に基づいて脳梗塞が生じることは考えられない。

(二) しかし、ウィリス動脈輪の形成がないか又はその程度が低い場合には、右血流補充が行われないために、脳右側に脳梗塞が生じることが考えられ、また右総頸動脈のクランプ前に生じたショック(心停止ではなく、心拍出量の低下である。)によって、脳全体の血流障害を生じ、すでに脳組織にある程度の障害が発生していたならば、これに右総動脈のクランプによる阻血が加わったことにより、脳右側だけでなく、脳左側にも脳梗塞が生じることが考えられ、こうしたことが脳梗塞の原因となった可能性が最も高いと考えられる。

しかしながら、このようなことは極めて稀なことであって、担当医に右のような事態の発生の予見ないし回避を求めることは不可能を強いることに等しい。

3  損害

(原告らの主張)

(一) 達子の逸失利益

金一〇六三万八二五六円

達子は、昭和六二年一一月三日死亡当時満五九歳であり、同年六月六日の手術当時まで日常の家事や農業に支障のない程度の健康体を維持していた。従って、本件事故によって死亡しなければすくなくとも平均余命の二分の一に当る一二年間はなお家事に従事できたと考えられるから、賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の全年令平均の賃金額を基礎にしてその逸失利益を算出し、生活費五〇パーセントを控除した後、新ホフマン方式により中間利息を控除して死亡時の一時払金額を算出すると、次のとおりとなる。

230万8900円×(1―0.5)×9.215

=1063万8256円

原告登は、右達子の損害賠償請求権を二分の一、原告初喜、同富貴は同請求権を各四分の一ずつ各相続した。

(二) 慰藉料 合計一六〇〇万円

達子は、原告らの母もしくは妻として、原告らの精神的支柱たるべき存在であった。慰藉料は、原告登について金八〇〇万円、原告初喜・同富貴について各金四〇〇万円を下らない。

(三)(1) 葬儀費用  金二〇〇万円

原告登は、達子の葬儀費用として金二〇〇万円を支出した。

(2) 弁護士費用 合計三六〇万円

原告らは、原告代理人らに本訴を委任し、着手金として各自金六〇万円を同代理人らそれぞれに対し支払ったほか、同額の報酬を支払う契約を締結した。

(被告の主張)

原告らの主張は不知ないし争う(但し、達子が満五九歳で死亡したことは認める)。

第三争点に対する判断

一過失の有無及び内容について

1  先ず、生検決定前の段階における過失について検討する。

(一) 本件腫瘤は、前記のとおり頸動脈小体腫瘤であったことが判明しているが、<書証番号略>鑑定人貴島政邑の鑑定及び鑑定人尋問の結果、証人小林元壯及び同村山正毅の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、頸動脈小体腫瘤についての一般的知見としては次のとおり認められる。

(1) 頸動脈小体腫瘤は、内・外頸動脈分岐部にある頸動脈小体から発生する腫瘍であり、頸部における腫瘍を一〇〇とした場合、0.0以下の割合で発生する頻度のものであって、その症例は、本件当時わが国で八〇例余り、現在でもわが国で一〇〇例、世界中で一〇〇〇例程度が報告されているに過ぎず、極めて希有な疾患であるが、標準的な外科学教科書にはほとんど一定のスペースが当てられて、必要な記載がなされている疾患である。

(2) その症状の臨床的な特徴は、次のとおりである。①内外頸動脈の分岐部にでき、典型的な頸動脈小体腫瘤は下顎角直下、頸動脈分岐部の高さの胸鎖乳突筋正中側深部に触診できる。②前後の可動性はあるが、上下の可動性はない。③通常、表面平滑で硬い。④腫瘤には伝達性の拍動を触れる。⑤皮膚との癒着はない。⑥超音波検査では、充実性の均一なエコー強度を認めるのが一般的である。(なお、この特徴について、鑑定人貴島政邑は一つの傾向にすぎないというが、症例の少なさからすると、他の特徴も同程度であり、単に一つの傾向であると片付けるのは相当でなかろう。)。⑦発育は、極めて緩徐であり、直径五ないし六センチメートルに達するまで五ないし七年を要することがある。⑧その他、ほとんど片側性に発生し、左右差はなく、女性に多く、中年に多い。自覚症状はほとんどないことが多いが、ときにかすれ声、嚥下困難、耳痛、頭痛、失神、異和感、鈍痛などを訴えることがある。

(3) その診断は、発生部位(下顎角〜側頸部)、緩慢な発育、左右に可動性あるも上下に動かないことなどの臨床的特徴から頸動脈小体腫瘤を疑った場合には、頸動脈撮影により、分岐部の開大、血管に富んだ腫瘍陰影を認めれば診断は容易であるとされ、血管に富んだ腫瘍のためにエンハンスCTが非常に有効である。

(二) ところで、本件で生検が決定される前の本件腫瘤についての所見としては、前記争いのない事実によれば、①最初の種本医師による触診では、右頸部胸鎖乳突筋内方、頸動脈前方に、超音波検査では内頸動脈のすぐ内側に位置していた、②弾性で、やや硬く、皮膚との癒着はなかった、③嚥下の際に僅かに動く程度であった、④圧痛については、ない場合(昭和六二年二月二七日、四月一七日)とある場合(三月二〇日、五月一五日)とがあった。⑤初診時の超音波検査の結果は、「Solid」(この意味が、「孤立性」か、「固形の」あるいは「堅い」かは争いがある。)の腫瘤で、表面は不整、内部エコーは不均一であった。⑥初診の二月二七日から生検前の六月一二日まで大きさは変化していないというものである。そして、<書証番号略>によれば、右のとおり超音波検査では表面不整とされているが、同年四月一七日の触診では本件腫瘤は「滑らかな表面」とされ、同年五月一五日の触診でも「表面平滑」とされている(<書証番号略>)ことが認められ、また鑑定人貴島政邑の尋問結果によれば、「表面平滑」とは表面がまっすぐであることを意味するのではなく、つるつるしているという意味であって、凸凹がないということではないことが認められ、これらの事実によれば、表面不整と表面平滑とは矛盾するものでないといえる。

そうすると、本件腫瘤が、①触診では右頸部胸鎖乳突筋内方、頸動脈前方に、超音波検査では内頸動脈のすぐ内側に位置していたこと、②弾性で、やや硬く、触診の結果によれば表面が平滑であったこと、④皮膚との癒着はなかったことという所見は、少なくとも前記頸動脈小体腫瘤の一般的知見とされる臨床的特徴とほぼ合致しているといえる。加えて、本件腫瘤の大きさが約四か月間変化していないことは、悪性腫瘤についていわれるダブリングタイムのルールに従っていなかったことが認められる(右ルールについて、被告主張のように適用範囲が限定されることがあるとしても、診断を下す際にその適用が否定されなければならないほどのものということはできない。)。

(三) 他方、本件においては、前記争いのない事実等によれば、達子に対し、多数回の視診、触診(昭和六二年二月二七日、三月六日、一三日、二〇日、四月一七日、五月一五日、六月一二日)、血液検査(二月二七日)、腫瘍マーカー(二月二七日)、超音波検査(二月二七日)、穿刺吸引細胞診(三月一三日)及びその他の尿検査、生化学検査、胸部レントゲン検査、甲状腺機能検査等が行われている。そして、右細胞診の結果は陰性であり、超音波検査の結果はリンパ節腫張を疑うものであった。

<書証番号略>、貴島政邑作成の鑑定書及び鑑定人尋問の結果、証人小林元壯及び同村山正毅の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、頸部腫瘤は臨床的手段で診断を確定し得ないことがあり、従前は生検が重要な診断法であるといわれていたが、本件当時に至って頸部腫瘤の診断に超音波やCTスキャンといった画像診断法が有力な補助診断法として登場してきたこと、超音波検査は腫瘤の質的判断、特に嚢腫性か実質性かという内容診断に優れ、辺縁、型、内部エコー等から悪性度診断にもかなり有用であり、更に、腫瘤と周囲の動・静脈との関係を明確にするが、部位診断力はCTスキャンに及ばないのに対し、CTスキャンは腫瘤の部位診断、特に深達性の診断には極めて有用で、周囲臓器との関係を知るにも有効であるが、悪性度診断については、超音波に及ばないというように、各画像診断法には一長一短があり、腫瘤の部位、内容、悪性度などすべて必要な情報を得るには単独では不十分であり、必要に応じて重複して施行し、総合的に検討を加えることにより、診断率が向上すること、しかし頸部腫瘤に対して頸動脈撮影やCTスキャンは一般的に行われている検査方法ではなく、造影剤を投与することなど患者に対する負担といったこともあり、診断が下った後に、細かい情報を得るためには必要とされるものであること、頸動脈小体腫瘤にCTスキャンや血管造影が有効といわれつつ、実際にCTスキャンが有効とされた症例は僅かであること、本件で頸動脈撮影やCTスキャンを実施していたとしても頸動脈小体腫瘤であるとの確定診断がついたとまではいえないこと(鑑定人貴島政邑ですら、「近づけた」というに止る。)が認められる。

(五)  以上によれば、本件腫瘤について生検が決定される前の所見には、なるほど頸動脈小体腫瘤の臨床的特徴とされる所見にほぼ合致するものがあったことが認められるものの、前記のとおり頸動脈小体腫瘤が極めて希有な疾患であり、生検決定前に様々の検査が行われた結果、細胞診は陰性であり、超音波検査ではリンパ腫脹の疑いがあったこと、そして、前記証拠によれば、岩国病院において未だかつて一度も経験したことのない疾病であったこと、これらの事情も加わって、本件腫瘤が、頸動脈小体腫瘤であるとの診断は下し難い状況下にあり、それ故、生検が決定されるに至ったものであること、そして、本件は頸部腫瘤に対し有用な方法である超音波検査が既に実施されていたものであって、CTスキャン(エンハンスCTを含む)や頸動脈撮影は、必ずしも一般的に行なわれている検査方法であるとまではいえず、仮にこれらを実施していたとしても確定診断に至ったかは疑問のあるところであり、しかも、患者の負担も考えると、これらの検査を重複実施する必要性は乏しいこと、以上の諸点を総合考慮すると、本件において、担当医師らには、生検を決定する前に、CTスキャン(エンハンスCTを含む)や頸動脈撮影等の補助的診断法を実施しなければならない義務があったとまでは認め難く、したがって、この点について、被告の担当医師らに過失があったとまではいえない。

2  そこで、生検決定後、執刀開始前の段階における過失について検討する。

(一) まず、生検(試験切除)の概念についてみると、<書証番号略>、貴島政邑作成の鑑定書及び鑑定人尋問の結果、証人小林元壯及び同村山正毅の証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

(1) 生検とは、病巣又はその一部を取り出して性質を確定するための組織学的検査を行う手段をいい、その方法には、①一部切除する方法、②腫瘍を周囲健康組織を含めて摘出する方法、③穿刺生検がある。これらの方法の選択は主として腫瘍の存在部位、大きさ、想像される性質によって選ばれることになるが、特に、悪性細胞が疑われる場合には、生検を行うことで悪性腫瘍を広めはしないかなど問題があり、その意味で最も安全な方法は、②の腫瘍を周囲健康組織を含めて摘出する方法であるが、これを実施するときには腫瘍があまり大きくないこと、切除が容易な解剖学的位置に存在していることが必要であるとされる。また、①の一部切除する方法では、腫瘍の一部が切除されるわけであるから、万一悪性であることが明らかになった場合に実施する手術の内容を考慮して、切開法、切除法を考える必要があり、一部切除の生検時の注意は悪性細胞が見出された場合に意味があるのであって、陰性の場合悪性が完全に否定されるわけではなく、臨床上の経過と併せ判定されるべきであるとされる。

(2) 「試験切除」という用語について、鑑定人貴島政邑作成の鑑定書及び鑑定人尋問の結果によれば、その概念としては、一応生検と同じ概念であるとされ、試験切除の場合であっても困難なく全部を摘出できるときには、組織片の採取を通り越して全部摘出を行うことはあり得るが、その場合には術後の手術手技名としては、「摘出術」になること、全部摘出を目的とする場合には患者に対する説明も試験切除の場合とでは異なってくることが認められ、また、<書証番号略>によれば、一部切除する方法の説明中で、「リンパ節の試験切除も……」というように用いられていることが認められ、証人小林元壯及び同村山正毅の証言によっても試験切除(生検)は確定診断をつけるための手術であって、根治手術を目的とするものとは異なることが認められる。

(3) そうすると、生検すなわち試験切除といった場合には、困難なく全部摘出を行うことができる場合には例外的に全部摘出に至ることもあるが、原則としては組織片の採取(一部切除)としての生検を意味するものと考えるのが相当である。なお、この点について、証人小林元壯及び同村山正毅の証言によれば、両医師は腫瘍の試験切除の場合には、悪性細胞をできる限り散らさないこと、再手術は難しさが加わること等の理由から全部を切除することを原則とし(今まで一度も一部切除に止めたことがない。)、むしろ一部切除は真にやむを得ない場合に行うものと認識していたもののようであるが、前記のように解するのが相当であり、両医師のいうように一部切除を例外的なものと考えることが相当であるとは認め難い。

(二) そこで、本件生検が決定されるまでの経緯についてみると、前記争いのない事実等によれば、超音波検査を担当した佐々木医師は上深頸リンパ節腫大を疑い、これを受けて種本医師は悪性リンパ腫の疑いも持ったが、一応炎症性も考慮して抗生物質などを投与したうえで、生検を考えることとし、その後も腫瘤の大きさに変化がなく、抗生物質等にも反応がないために生検である針穿刺吸引細胞診を行ったが、結果は陰性であったことから、再び経過観察をすることとしたこと、そして、<書証番号略>、原告村佐登の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、種本医師は、後任の医師(中村医師)に対し「本件腫瘤が増大するとか、他にも出るようならば、生検を考えた方がよいが、一応経過観察の方針である」旨申し送りをしていること、種本医師から引き継いだ中村医師は、約三か月半の右経過観察でも本件腫瘤が縮小しないことから悪性腫瘍の可能性も考慮していること、それ故、本件腫瘤につき確定診断を得るためには生検が必要であると判断するに至っていること、ところで、中村医師は種本医師から引き継いだ最初の診察時に生検を決定しているが、中村医師が本件腫瘤についてどの程度の悪性腫瘍と考えていたのか、また、種本医師が考慮していた腫瘤の増大傾向のことについてどのような診察をしていたのかの点については、診療録に何ら記載がなされていないのでつまびらかでないが、種本医師の診断を是認したからこそ記載しなかったものであると推認するのが相当であり、それ故にこそ、右のとおり最初の診察時に生検を決定したものであるとみるのが相当であること、そこで、中村医師は、達子(原告登も同席)に対し、試験切除(試切手術)すなわち生検について説明し、その手術は、外来でできる手術であって、約三〇分間で終了する手術であり、手術後一時間ないし二時間休めばその日のうちに帰宅できる手術であると説明していること(通院のままできる手術であると説明したことは当事者間に争いがない。)が認められる。

以上の事実によれば、種本医師は、本件腫瘤について悪性腫瘍の疑いをもちつつも、慎重にかつ段階的に検査及び経過観察を重ねたうえで、生検(これが切除生検であることは、すでに針穿刺吸引細胞診を実施していることから明らかであろう。)を実施しようと考えていたと推認するのが相当であり、これによれば、控えめにみても、同医師は生検でいきなり本件腫瘤を全部摘出することまで意図していたかは相当に疑問であったものと認めないわけにはいかないこと、そして、中村医師は、種本医師の右のような意味での生検を引き継いだものであるとみるのが相当である。すなわち、生検の前提としていた本件腫瘤の増大は認められず、しかも、その他に緊急に本件腫瘤を全部摘出しなければならない事情は全く認められないにもかかわらず生検を決定していること及びその生検について達子らに対して通院のまま比較的簡単にできる手術であると説明していること等に徴すると、中村医師が種本医師と異なって本件腫瘤を全部摘出する生検が必要であるとの判断をしたものとも到底認め難い。そうすると、中村医師が、意図して達子らに説明し、達子らが承諾を与えた生検というのは、前記生検の概念でいうところの「一部切除」としての部分的な組織片の採取目的であったというべきであり、確定診断のためであったというべきである。換言すると、前記認定のとおり、本件生検が決定される前の本件腫瘤についての所見には、頸動脈小体腫瘤の臨床的特徴のいくつかに合致するものがあったものの、極めて希有な疾患であり、リンパ腫脹の疑いもあったことから頸動脈小体腫瘤を強く疑うべきであったとまではいえないが、さりとて、単なる悪性リンパ腫と断定することもでき難い状況下であったと認められること(だからこそ、生検によって確定診断を得ようとしたものである。)、前記のとおり腫瘍を周囲組織を含めて摘出する方法(全部切除の生検)は、腫瘍があまり大きくなる、切除が容易な解剖学的位置に存在していることが必要であるとされるところ、<書証番号略>、貴島政邑作成の鑑定書及び鑑定人尋問の結果によれば、本件腫瘤はあまり大きくないけれども、頸部に位置し、そして、頸部は、躯幹のなかで、最も細かい部分に気管、大血管、神経、食道、さらに多数の筋群が集中しており、また複雑なリンパ管網や多数のリンパ節群を内蔵しており、一度周囲の損傷を起こせばその収拾は困難を極めるような部位であると認められる。そして、これらの諸事情に徴すると、中村医師が決定して達子らに説明した試験切除(生検)は、前記のとおり一部切除であった(また達子らもそれを前提に承諾したものとみるのが相当である。)と推断するのが相当である。けだし、後記3(一)認定のとおり、本件の予定手術所要時間は約二〇分間であった点からも十分に右推断を首肯しうるからである。

そうすると、本件において生検(試験切除)を担当した担当医には、本件腫瘤や操作の難易度などについて事前に十分検討を重ねたうえ、右中村医師らとも十分な協議をなし、一部切除としての生検に止めておくべきであって、よしんば例外的に全部摘出に至る場合には、十二分な事前の準備(右協議を含む)を整えたうえで本件手術を行うべき義務があったというべきである。

(三) そこで、中村医師によって生検が決定された後、執刀に至るまでの経緯についてみると、証人小林元壯及び同村山正毅の証言並びに弁論の全趣旨によれば、岩国病院においては、手術前日の午前中に次の日に手術される症例が持ち寄られて検討会―検討会の名に値いするかは疑問を感ずる―が行われ、その場で手術担当医等のスケジュールが決定されるようになっていたところ、本件においても前日に検討会―単に担当医の決定―が持たれて村山医師と小林医師がペアを組んで本件手術を担当することになったこと、手術を担当する医師はカルテの記載から診察担当医の判断や診察経過を判断するだけであって、本件においても診察を担当し生検を決定した中村医師(ないし種本医師)と、生検を担当した小林医師及び村山医師との間では本件腫瘤についての事前の話し合いなどは一切持たれておらず、小林医師及び村山医師は診療録(外来カルテ)で達子の症例を把握していたにすぎないこと、しかも、村山医師が右診療録を見たのは手術直前であったにすぎないこと、小林医師と村山医師との間でも手術前に本件腫瘤についての意見交換などはなされていないこと、小林医師は本件腫瘤を良性のものと思って執刀に入ったが、村山医師はそのように考えてはおらず、両医師の間で本件腫瘤についての見方が必ずしも一致していなかったこと、中村医師(又は種本医師)が本件の手術に立会っていなかったこと、小林及び村山の両医師は、前記認定のとおり試験切除は原則的に全部摘出すべきであるとの認識を持っていたところ、本件でも当初から本件腫瘤を全部摘出する目的で試験切除(生検)に臨んだものであったことが認められる。

(四)  以上認定の事実によれば、小林及び村山の両医師は、中村医師が決定して達子の承諾が得られている一部切除としての生検(試験切除)であるから、原則としてそれに止めておくべきであったのに、その範囲を逸脱(村山医師らは、その裁量の範囲を逸脱しているというべきであろう。)して、当初から、頸部という枢要な部位において、本件腫瘤の全部摘出を目的とした生検を実施しようとしたものであり、しかも、本件腫瘤の臨床的所見に注意を払うことなく、また事前の十分な準備や検討(中村医師らとの協議を含むを重ねることもなく、安易に本件腫瘤を一般的な通例の頸部腫瘤であると判断して、本件全部摘出の執刀を開始し前記大量出血に至ったものといわざるを得ない。そうすると、村山医師らが本件全部摘出術を行ったことは、右義務に違反した過失があったといわざるを得ない。

3  執刀開始後の段階における過失についても、念のため検討する。

(一) 本件手術の経過についてみると、六月一八日午後一時四五分ころ、達子に対して局所麻酔(この麻酔下での手術は、後記認定のとおり最長約四五分間で終了することが予定されている。)が行われた後、執刀が開始され、腫瘤表面の一部に達したが、本件腫瘤が易出血性であったこと及びその位置の深さ並びに周囲組織との癒着の程度の著しさから、剥離操作は視野が十分に展開しにくいこともあって困難を極め、当初の手術の予定時間であった約二〇分間より遅延したため、同日午後二時一〇分ころ、執刀医が小林医師から上席の村山医師に交替し、村山医師の下で剥離操作が継続されていたところ、同医師が創部を拡大して、縫合糸を二針掛けて支持糸として腫瘤を浅・上部を持上げつつ剥離しつつあった同日午後二時四六分ころ、頸動脈性の大量(約九〇〇ミリリットル)出血を認めたことは、当事者間に争いがない(なお、争いのある点は前記証拠により認定。)。なお、全身麻酔をして再手術(続行)を開始し、それが終了したのは午後四時三〇分ころであったから、本件手術は、合計約二時間四五分間を要した大手術となった。

以上の事実によれば、本件手術は約二〇分間程度のものと予定されて開始されたものの、麻酔開始から約二五分経過した時点においても本件腫瘤の全部摘出を行えなかったことから、執刀医が小林医師から上席の村山医師に交替したものであるが、同医師が担当してから出血するまでにもさらに約三五分間経過していたものであって、その時点においても全部摘出を行えなかったことが認められる。そして、証人村山正毅の証言によれば、本件で用いられた局所麻酔の種類及び量からすると本件手術は四〇分ないし四五分以内で終わるものでなければならなかったことが認められるにもかかわらず、出血を生じた時点では局所麻酔開始からすでに約六〇分が経過していたことが認められ、本件腫瘤の全部摘出術は困難を極めたものであったことが容易に推認しうるのである。

(二) <書証番号略>、貴島政邑作成の鑑定書及び鑑定人尋問の結果、証人小林元壯及び同村山正毅の証言によれば、頸動脈小体腫瘤は暗赤色であるといわれているところ、本件腫瘤は暗赤色であり、小林及び村山両医師もこれを認識していたこと、小林及び村山両医師は剥離操作の過程でリンパ節腫張ではないかもしれないとの疑問を持ち、頸動脈小体腫瘤の可能性をも考え発言していること、他方、出血を見るまでに本件腫瘤が内・外頸動脈の分岐部に位置していることは判明しなかったが、拍動性は触れなかったことが認められる。しかし、村山医師としては、さらに手術(全部摘出)を続けるべきか否かという判断を見極める操作をしているときに大量の出血をした旨証言するが、措信し難い。けだし、経験豊かな両医師が担当しても、前記のとおり手術予定時間を大巾に超過していたのであるから、中止する判断も容易であったと認めるのが相当であるからである(小林医師は一部採取して中止することは可能であった旨証言している。)。また、本件腫瘤は既に一部露出していたのであるから、組織片を採取することも極めて容易であったといわなければならないからである。村山医師は、今までに一部切除手術に止めたことがなかったために、勇気ある撤退(一部切除に止めること)をしなかったものと推断するのが相当である。

(三)  ところで、前記認定のとおり本件試験切除の目的は確定診断をつけることにあり、しかも、局所麻酔であり、したがって、そのためには、原則として一部切除という方法がとられるべきであったところ、局所麻酔の制限時間を越えてまで困難を極めた全部摘出をあえて目指して執刀を継続しなければならない理由は何ら存しなかったと認めるのが相当であり、前記のとおり、中止することは可能であったというべきである。

そうすると、本件では出血に至る以前の段階において、村山医師らは、前記のとおり、当初、全部摘出を目指した手術ではあったが、十分中止することが可能であり、かつ中止すべき義務があったというべきである。これを怠り、同医師らが全部摘出を目指して手術を継続したこと(中止しなかったこと―その結果大量出血するに至ったこと)は過失があったといわざるを得ない。

二達子の重度脳障害及び死亡原因について

達子の手術は、前記のとおり、約二時間四五分という大手術であって、その結果、同女が術後脳梗塞を発症し、遂には死亡したことは当事者間に争いがなく、<書証番号略>、証人小林、同村山の各証言及び貴島政邑作成の鑑定書によれば、達子が脳梗塞に陥った原因は、出血に端を発して、右総頸動脈圧迫、頸動脈洞反射、右総頸動脈クランプ、心停止等の複合・相乗の影響として生じたものと認められるところ、達子の大量出血の原因は前記認定の過失にあるから、前記過失と達子の死亡との間には相当因果関係が認められる(なお、被告は、大量出血直後の心停止は生じていないと主張しているが、<書証番号略>及び証人小林・同村山の各証言によると、心停止(ないし徐脈)が生じたものと認めるのが相当であり、また被告が主張するようにウィリス動脈輪が正常であったとしても十分に血流補充が代償されるとは限らないことは鑑定人の指摘するところである。)。

三損害

1  達子の逸失利益(原告ら相続の合計)

七六〇万六二〇九円

(一) 達子が死亡当時満五九歳であったことは当事者間に争いがなく、原告登の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、達子は本件手術当時まで日常の家事や農業に支障のない程度の普通の身体であったことが認められるから、本件事故によって死亡しなければ、就労可能年齢である満六七歳までの八年間は就労できたと認められる。そこで、原告らの請求する昭和六〇年の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の全年齢平均の年収二三〇万八九〇〇円を基礎とし、同年収から生活費として五〇パーセントを控除したものに、八年間の新ホフマン係数6.5886を乗じ(中間利息控除)て算出すると、達子の逸失利益は七六〇万六二〇九円(円未満切捨)となる。

算式

230万8900×(1―0.5)×6.5886

=760万6209円

(二) これを原告らについて、相続分に従い算定すると、原告登に帰属する分は、右の二分の一の三八〇万三一〇五円、原告初喜及び同富貴にそれぞれ帰属する分は、右の四分の一の一九〇万一五五二円となる。

2  原告らの慰藉料

合計一四〇〇万円

原告らが、達子の死亡によって精神的苦痛を受けたことは明らかであり、前記認定の達子の症状、国立岩国病院の医師の医療行為の経緯、手術後の説明等家族への対応その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、慰藉料は、原告登について七〇〇万円、同初喜及び同富貴についてそれぞれ三五〇万円が相当である。

3  葬儀費用 一〇〇万円

達子の死亡による葬儀費用(原告登負担)としては、一〇〇万円が相当である。

4  弁護士費用 合計一八〇万円

原告らが、弁護士である本件訴訟代理人を選任して本件訴訟を追行したことは本件記録上明らかであるところ、本件事案の難易度、訴訟追行の経緯、前記認容額等を斟酌して勘案すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、合計一八〇万円(原告登について九〇万円、同初喜及び同富貴についてそれぞれ四五万円)と認めるのが相当である。

四結論

以上の事実によれば、原告らの本訴請求は、原告登が金一二七〇万三一〇五円及びこれに対する昭和六三年三月八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を、同初喜及び同富貴が各五八五万一五五二円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条一項、三項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山本愼太郎 裁判官稲元富保 裁判官角隆博は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官山本愼太郎)

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